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PTSDについて

PTSDは post traumatic stress disorderの頭文字をとったもので、心的外傷後ストレス障害のことです。これは生死にかかわるような大事故(列車や航空機事故)や大地震、レイプや犯罪、DVなどの体験をしたりそれらを目撃したことで、後になって突然記憶が呼び覚まされて大きな苦痛を感じたり、関連するような悪夢を見る、不安、気持ちが落ち込む、動悸がする、などの場合のことです。そのような状態が一か月以上続いた場合その診断が下されます。

 

主な症状をあげてみると、侵入症状(フラッシュバック。辛い記憶が突然甦ってきたり、悪夢となって反復する)、回避症状(出来事について考えたりすることを極力避けようとしたり、思い出してしまうような人や状況などを回避する)、感覚や気持ちの変化(感情や感覚が麻痺する、孤立感や興味関心の喪失)、過覚醒・過度な警戒心や自己破壊的な行動をとること、などになります。

それまでの人生経験では太刀打ちできないような、あまりに衝撃の大きい出来事に見舞われたせいで、こころの機能がもはやそれまでのように普通に働かなくなると思われますが、PTSDの症状の多くは出来事に対する反応として、とても自然なことであるように思います。

 

トラウマ(心的外傷)を生むような体験というものは、その人にとっては不意打ち、悪いサプライズに遭うようなものです。なにもこころの準備がないところに、いきなりそうした体験が向こうからやってくるわけですから。そのような恐ろしい不意打ちにもう二度と遭わないために、外の世界を出来るだけシャットアウト・シャットダウンするには感情や感覚は鈍麻した状態の方が無意識的にはよいのかも知れません。またそれとは反対に、無意識的に不意打ちに備えてつねに臨戦態勢でいようとする結果、過度な覚醒状態や警戒状態に至るのだと、考えることができます。いずれにせよ、過酷な体験や記憶から、自分を守るための症状であると説明されることが多いです。

 

さらに、なぜ自分がそのような辛い目に遭わなければならないのか、自問したくなるのは自然なことです。そうした大事故や大地震といったものは、そこに居合わせたのはたまたまの偶然であり、言ってみれば運命としか言いようのないものです。ですから非常に不条理に感じるに違いありませんし、空虚感にとらわれるのも不思議なことではありません。

 

またこのように大きなトラウマを生むような出来事は、人生における大きな落とし穴のようなものでもあります。それまでの人生で積み上げてきたもの、努力して築き上げた生活、人とのつながりが、一瞬で破壊されてしまったり、大事にしてきた信念や信条に大きな疑念が生じる体験です。なにか神とか運命のような、大きな力にすがりたくなったり、反対にそれらを恨んだり捨て去る契機にもなり得ます。無謀な行動や自己破壊的な行動をとってしまったり、孤独にさいなまれたり孤立感を覚えたりするのも十分に理解できることです。

特に犠牲者がでている場合は、なぜ自分が助かり他の人は犠牲になったのかと考えて混乱したり、自分が犠牲になればよかったのではないかと思ったり、罪責感にとらわれたりすることもあります(サバイバーズギルト)。

 

日本では2011年に死者だけでも1万5千人が犠牲となった東日本大震災が起こりました。また現在進行形で、世界中がコロナ禍という大災害に匹敵する状況にあります。これらの体験は生死にかかわる体験であり、少なくない人々にPTSDにつながるようなトラウマを生んでいる可能性があると考えられます。

 

・主な治療法

医学的アプローチと心理的アプローチがあり、医学的アプローチとしては向精神薬になります。心理的なアプローチとしては、心理療法や、厚生労働省が薦めている認知行動療法(暴露療法、EMDR)などになります。

 

症例の紹介

当相談室では心理療法を実施しています。そのためPTSDに関するラカン派精神分析的な心理療法のひとつの症例を紹介してあります。これは『精神分析の迅速な治療効果』にある症例を読みやすく直したもので、スペインの列車同時爆破テロによってPTSDを患ったミンナという女性の話になります。    PTSDの症例ミンナ(1/5)はこちらです。

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うつについて

精神医学のマニュアルには“鬱病”の定義が載っていますが、おおまかに言うと気分の落ち込みや喜びの喪失、罪悪感といった精神的な症状や、食欲不振や不眠、疲労感などの身体にかかわる症状が5つ以上、2週間以上毎日続くものと説明されています。そのような鬱病までは至らなくても、“うつ”のような状態は、生きていれば誰でも体験しているのではないかと思います。また特にコロナ禍の出口がまだ見えない現在にあっては、うつではない人の方が少ないのではないでしょうか。

 

ずっとやりたかったことをあきらめざるを得なくなり、気力を失うこともありますし、大切な人との別れを経験して、しばらくなにも手につかないほどの衝撃を受けることもあります。職場の労働条件が悪くて追い込まれることもありますし、それとは反対に条件がいくらよくても、自分にとり過分な期待がかけられていると感じるとその重責から変調をきたすこともあり得ます(「昇進うつ病」など)。なにか倫理的に問題があるような秘密をこころに抱えても、罪責感情から気持ちが沈みこむことがありますし、自分の思ったようにものごとが進まない不全感から、うつになることもあるでしょう。これらは一例にすぎません。心理的な原因を探ろうとすれば、ひとりひとりまったく違う、多種多様な原因が見つかると思います。それもどれかひとつというよりも、複数のものが絡まり合っているかもしれません。

 

うつの状態から自分自身の力でなんとか抜け出ようとすることは、尊重されるべき姿勢だと思います。うつが軽い場合ならよいのかもしれません。しかしそうでない場合には、精神的に追いつめられて自殺などの取り返しのつかない極端な行為に至ってしまうこともあり得ます。ですからいつでも人に相談する勇気をもってほしいと思います。

 

主な治療方法

医学的なアプローチと、心理的なアプローチとに分けられるでしょう。医学的アプローチには、向精神薬を用いることが一般的だと思いますが、ほかに電気けいれん療法(ECT)、経頭蓋磁気刺激法などがあります。心理的なアプローチとしては、心理療法、認知行動療法、マインドフルネス、催眠療法、ゲシュタルト療法などがあります。医学的なアプローチは脳の神経細胞に薬物その他の手段を用いて働きかけるやり方です。心理的なアプローチは、その人のこころや精神といった目に見えないものの存在を想定して、それにことばを用いて働きかけることで原因を取り除こうとするものと言えるでしょう。うつを抑える薬を飲みながら心理療法をするなどの、両方のアプローチを組み合わせることもよく行われていることです。

 

この相談室で行っているのは上記の心理的アプローチの中にある心理療法になります。それでこのコラムの最後に、心理療法の症例をご紹介しようと思います。症例報告については守秘義務のことを厳密に守ろうとすれば事例小説といわれるフィクションを作る必要もでてきますが、すでに出版されている本からの引用であれば問題ないでしょう。ここではうつ病の女性の精神分析的な心理療法の例を、紹介しようと思います。これはフランス人臨床心理士で精神分析家でもあるパスカル=アンリ・ケレールが『うつ病』(白水社クセジュ文庫)という本の中で紹介しているケースを、読みやすくしたものです。

 

オデットは主治医に勧められて臨床心理士との面接にやってきました。彼女は主治医がいろいろ医学的な治療を試みてくれたものの、どれもうまくいかなかったと考えています。ここ十年来、毎日のように亡くなった父親を思い出して淋しい気持ちになり、悲嘆にくれて泣いていました。このようなうつ状態から解放されることしか頭にありませんでした。彼女はひとりでは行動できず夫の運転する車で面接に通ってきました。

 

それでも臨床心理士の言うように、“頭に浮かんだことをできるだけすべて、きたんなく話す”という自由連想を受け入れ、心理療法は始まります。そしてだんだんと娘のことや自分が小さかった頃のことを語るようになります。また、オデットはスーパーで働いていたのですが、いつのまにか建築家である姉と自分を比較しながら話をする癖があることに気がついたり、両親は裕福でなく姉の教育費しか工面しなかったと思っていることなどを語るようになっていきました。

 

そんなふうに分析をすすめるうちに、次のようなことが明らかになりました。オデットの母親が子どもはひとりだけで充分だと思っていたことや、オデットよりも姉をいつも高く評価していたこと。そういったことすべてを辛い気持ちでみていたけれども反発せずに黙って我慢していたことです。というのは父親にだけはそれらのことを話すことができ、父親がどこか共感してくれていると感じることができたからでした。オデットは出産して育児をしていくうちにそういった過去のもろもろを忘れて過ごしていたのですが、父親の死がきっかけとなって、以前の辛い記憶が呼び覚まされてしまい、うつ病の診断を受けるほどの状態に追い込まれてしまったのでした。

 

オデットは自分が父親にだけは本心を打ち明けていて、ある意味父親と秘密を共有して生きてきたことに気がつき、愕然とします。母親が自分に対してとても冷酷で不公平で意地悪だったのだと、思うようになります。それまでとは違って、オデットは家庭で暴君的に振る舞ってきた母親に対して言いなりになるのではなく、反発することばを見つけるに至ったと言います。この治療の作業が終わりに近づいた頃、心理士はオデットに「あなたはまるで、お父さんに対して伝えたかったことを、ここで私に語ったようですね」と伝えます。彼女は笑って「本当にその通りだわ」と答えたということです。

 

オデットの面接は一年弱のあいだ行われたと説明されています。こころの内を話してみることで自分がずっと母親との関係で苦しんでいたことや、父を失ったことがどんな意味をもっていて、どれほどの大きなことだったのか、はじめてはっきりと理解できたと思われます。子どものころはすべてがもっと渾然としたかたちで体験されていたはずです。自分と姉とを比較して生きることも、やめようと決めたかもしれません。オデットはこのようなこころの作業のあいだ、さまざまなことを想起しては、感情が激しく揺れ動いたりうつが強まったりした時期もあったかもしれません。しかしうつから回復して今後よりよい人生を歩むためには、それも受け入れることができたのだと思います。

 

参考文献:うつ病-回復に向けた対話、パスカル=アンリ・ケレール著 阿部又一郎、渡邊拓也訳/井原祐子協力、白水社 文庫クセジュ

 

 

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精神分析のプロセス(2) Aさんの症例

1 ずっと悩んでいることを話しにやってきたAさん

 

Aさんは20代の女性ですが、長年ひとつのことに苦しんできました。それは「自分はなにかうまく笑えない。自分の笑いは奇妙なのではないか」という悩みでした。べつに人からこれについて指摘されたことはなく、むしろ周囲には明るく楽しい人と思われているとのことです。でもAさんは下らないことだと思いながらも気になるとどうにもならず、もう10年ほどこのことに悩んできたと言います。最初はなんとなくそんな考えが浮かぶという程度でしたが、成長するに従って悩みは深くなり、今では自分の「笑い」が気になって、目の前の人との会話が楽しめないこともあります。出会いを求めて外に出かけて行きたいと思っているにもかかわらず、その勇気がでなくて、だんだんと自分に自信がなくなってしまいました。しかしこのままではどんどん悪化するだけだと思い、もしかしたらこういう変な(?)悩みでも聞いてもらえるのではないかと思って、分析家のうちにやってきました。Aさんは最初週に二度、のちに三度、分析家のうちに通うことに同意しました。

 

分析家はAさんに、とにかく何でも頭に浮かぶことを話すように話します。するとしばらくしてAさんは語ります。「不思議と頭に浮かんでくる一枚の写真があります。それは小さい頃に兄からもらった本のなかの写真で、ある女性作家が写っていました」。それから、「でも確かにその作家さんの笑い方は変だなと思いました。たぶん写真が加工されていて、色の付き方が変だったのかも知れませんが、よく覚えていません」彼女はこんな写真のことはとっくの昔に忘れていることだし、たぶん本のことはくれた兄も忘れていると思うのに、なぜ今これを思い出すのかは不思議だと言います。ただ「奇妙な笑い」という点は自分の悩みと共通しているため、もしかしたら何か関係があるのではないかと思い始めました。

その後分析が進んで、Aさんが理解したのはだいたい以下のようなことでした。Aさんの両親はあまり子どもに関心を持たない人たちで、Aさんは孤独な幼少期を過ごしていましたが、唯一の心の支えが兄で、兄のことが大好きでした。そんな兄がくれた本のなかに登場するこの作家は、兄にとっては憧れの、理想の女性のようなものだったそうです。じつはこの「自分の笑いは奇妙なのではないか」という強迫観念のような症状は、Aさんがこの作家に無意識に同一化していることが原因で、起こったことでした。つまり、兄のこころの中でこの女性作家が占めている位置をAさんは代わりに占めたい、そうして兄にもっと愛情を注いでもらいたいと望んでいたのでした。そしてAさんはこの作家の持つ特徴である「奇妙な笑い」も無意識に自分の身に引き受けて、それについて苦しむという形で自分を罰していたということなのです。(症状を生みだす原因となっていることがらは決して一つのことだけではありませんが、ここではこのひとつだけを取り上げることにします。)

ただ、そこまで理解が進み、完全に症状が消え去ってしまうには、かなりの時間が必要でした。「同一化」という概念も、本当に理解するのはそう易しいものではありません。そしてこの話はAさんのセクシャリティーや愛情にまつわることの分析がなされないと、完全には理解できないものでもありました。

ですからAさんの場合、実際の分析は以下のように進みました。

まず悩みについて語り、ふと思い出したことを自由に語ります。この三角関係(兄とAさんと女性作家)についての話がある程度まで語られると、もうこの症状についてあまり悩まなくなりました。というのは、Aさんは自分の症状に、ある種の『理由』『原因』があること、無意識がなんらかの形で作用していることが、はっきりと実感として分かったからです。それも、ただ頭に思い浮かぶことを頼りにするだけで、理解に至ったのでした。このような分析の最初に起こった色々な発見はAさんを非常に驚かせると同時に、安心も与えました。それでもう以前ほどそのことで悩まなくなりました。そして、Aさんはつぎに見えてきた自分の問題に、取り組むことにしました。それは兄を頼りにせざるを得なかった状況はなぜ生まれたのか、幼少期の親との関係は、どういうものなのだったのかを考えることでした。その後、Aさんのセクシャリティーや愛に関することがらを話し理解することへと移り、その話をしているなかで最初の主訴(「自分の笑いは奇妙なのではないか」)についてより分析が進み、完全にこの症状は消え去ることになりました。

 

このケースでAさんはまず「症状」を訴えることから分析を始めたと言えます。そしてその最初に訴えた「症状」についてある程度理解したと感じたところで、Aさんの関心は自然とほかの問題に移っていきました。このようにひとつの問題が片付いたり解決したりしたときに、次のことに取り組もうとする場合もあれば、そこで終わりにする場合もあります。だいたい色々な問題は絡み合って存在しているものなので、ひとつの問題の解決はつぎの問題の入り口になっていることが多いと思いますが、続けるかどうかは分析をやっている人が決めることでしょう。Aさんの場合は続けることを選択し、ほかのさまざまな問題を問うたり、また違う角度、違う深さで最初の主訴についての分析が再びなされ、それについて完全に解決を見た・・というプロセスを辿りました。

(症例はモデルケースとして創作したものであり、フィクションです)

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