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コラム

New Lacanian Shool 2024年度大会テーマについて

2024/04/06

2024年5月11日、12日に、イギリスのダブリンにてNLSの大会が開催されます。

NLSとはラカン派精神分析家たちによる団体のひとつです。イギリスやオーストラリア、ギリシャ、ポーランド、ロシア、イスラエルなど、さまざまな国でグループを作って活動している人たちが所属する団体になります。

今大会のテーマは「まなざし(視線)の臨床」となっていて、会長のダニエル・ロア氏が趣旨説明を行っています。このテーマをもとに、大会ではたくさんの臨床例の検討や、発表が行われます。

室長はオンラインで参加の予定ですがロア氏の趣旨説明を訳しましたので、興味のある方は読んでみてください。

まなざしの臨床 まなざしの臨床 D・ロア 

 

コラム

ピエール・スクリャビン 短時間セッションに関する論文

2022/05/20

ピエール・スクリャビン(Pierre Skriabine)氏はパリで活躍したロシア系フランス人で、ラカン派の精神分析家です。ラカンは精力的に数多くの分析家を育てたと言われていますが、スクリャビンもそのうちの一人です。

彼は2004年、雑誌La Cause Freudienne56号に、「エビデンスか問いか?」(Évidences ou questions ?)という短かい論文を書いていますので、それを訳して載せたいと思います。

ここで扱われているのは、ラカン派の精神分析がなぜ短時間セッションであるべきと考えられるか、という問いです。

”短時間セッション”、と言っても、それが具体的に何分のセッションを指すのかは一概には言えません。これは分析家によって異なりますし、分析主体(分析を受ける人)によっても異なり、またセッションごとに変わるものです。ですので正確に言えば、これは”時間変動制のセッション”のことを指しています。セッションの時間に関して、あらかじめ何分の面接でいくらの料金が発生する・・と考えるのがスタンダードな考え方ですが、ラカンはそのようには考えませんでした。これには精神分析の扱うのが”無意識”であるということが、深く関わっています。

ちなみに、スクリャビンはこの論文のなかで、ラカンの1回のセッションは極めて短時間であり、例えば15分のセッションだった時彼自身は永遠の長さに感じたと言っています。ということは、スクリャビンとラカンの間では、15分のセッションでも長い方だったということになるでしょう。そしてそのようなセッションを、週に3回~4回、重ねていたと思われます。とは言え、彼はそのラカンの行っていた極めて短時間のセッションをスタンダードと考えるべきだと言っているのでもありません。その長さ・短さがどんなであれ、セッションの時間についてスタンダードを設定すること自体が、本来できない話である・・というのが、彼の言いたいことと思われます。

スクリャビンが分析のセッションは短時間であるべきと考える根拠が、この論文では三つあげられています。また短時間セッションにおける、彼の分析主体(分析を受けている人)のエピソードも、短いですがいくつか紹介されています。また改めてこの論文にまつわる解説を載せたいと思いますが、「パートタイムの分析主体は存在しない」(分析を始めると、セッションの時間だけではなく、それ以外の日常生活の時間でもいつも分析について考えるようになること)と書くなど、ラカン派分析のセッションの雰囲気が少し伝わってくるような面白いテキストです。

※ 出典は上記に記してあります。試訳であることを承知の上、ご利用下さい。

 

ピエール・スクリャビン論文

コラム

フランソワーズ・ドルト「子どもの精神分析セミナー」試訳

2021/11/11

フランソワーズ・ドルト(Françoise Dolto, 1908-1988)はフランスの児童精神科医です。彼女は子どもの精神分析家としてフランスではお茶の間でも大変有名で人気のあった人物です(彼女の子ども達のうちのひとりが、コメディアンとして活躍しています)。トゥルソー病院での臨床や専門家向けの教育活動だけではなく、ラジオ番組で定期的に子どもに関する相談にのったり、”緑の家”と呼ばれる幼児と保護者のための施設を創設するなど、精力的に活動し、児童の精神分析や教育分野で多大な貢献をしました。彼女の出たテレビ番組を見てみると、語り口がとても明快で分かり易くかつ一種の迫力も自然に備わっていて、知的な肝っ玉母さん(?)といった風の女性に見えます。また、同時代のジャック・ラカンとも近い人物で、ラカンのセミネールでもドルトとラカンのやり取りがなされ、記録されてもいます。

 

ドルトの著作は翻訳されているものも幾つかありますが、いまだ翻訳されていないものもあります。そのうちの一つ、「子どもの精神分析セミナー」(Séminaire de psychanalyse d’enfants, éditions du Seuil, 1982)は3巻本になりますが、これは子どもの臨床に直接携わる人たちを対象としたセミナーの収録です。そこには患者である子どもとドルトが直接その場で面接をする”患者呈示”についても、彼女自身のコメント付きで収録されています。

 

ラカンは新しい精神分析の形や理論を作っただけではなく卓越した臨床家でもありましたが、ドルトもまた非常に優れた臨床家でした。この本は面接場面で臨床家が子どもとどう関わったら良いのかが具体的に分かる良書です。専門家だけでなく、悩み苦しんでいる子どもの考えていることを知りたい人にお勧めです。

 

本の一部の試訳を、PDFファイルにして載せます(試訳であることをご承知の上、ご利用下さい)。もし何らかの問題がある場合は、お知らせください。

 

子どもの精神分析セミナー フランソワーズ・ドルト (タイトルは仮につけたものです)

第一回 子どもと真実

https://www.cocoro-mori.net/wp/wp-content/uploads/2021/11/49ef72b19c9b2addea8db508ca9b00b7-2.pdf

第二回 親の症状としての子ども

https://www.cocoro-mori.net/wp/wp-content/uploads/2021/11/20cfce153c6dcbd30dc35695758066ae.pdf

第三回 様々な去勢 いかなる去勢も受けてこなかったカティアの症例

https://www.cocoro-mori.net/wp/wp-content/uploads/2021/11/041c8e89b678b46731ac2144bc87c2e7.pdf

第四回 様々な去勢2 恐怖症など

https://www.cocoro-mori.net/wp/wp-content/uploads/2021/11/3d286c066077720590e492e614c9bbcc.pdf

第5回 自分で創作した言語しか話さないディディエの症例

https://www.cocoro-mori.net/wp/wp-content/uploads/2021/11/588f5dc5c85286438783f2302a488dbe.pdf

 

 

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