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切迫する不安 ピエールの症例(3)

ピエールの面接は7回しか行われていませんが、その治療的効果は疑いのないものと考えられます。以前のピエールは不安発作に悩み、また知的な面での制止と、抑うつの状態で行き詰っていました。半面、彼が唯一生き生きとできる場面は宗教活動の場面であり、それが彼にとって大事な社会的なつながり、人間関係を作っているものでした。この宗教面に関することとしては、その場が彼自身を支えていて、彼の理想の自分のイメージを支えていたと考えられます。しかしカトリックでは自殺を禁じており、ピエールの友人はまさにその自殺をしてしまったため、ピエールは彼の信じる神への信仰が想定する意味の限界に、置かれてしまったのでした。

 

それでは分析家はどのようにピエールの最初の不安・訴えを理解したのか、面接でどのようなことが起こったと考えられるのでしょうか。

 

福音書読解の再解釈

分析家はピエールの症例について、2つのポイントを指摘しています。

ひとつは福音書の読解の再解釈、もうひとつは友人に言われた言葉に関してのことです。両者は互いに関連しています。

 

放蕩息子のたとえ話は、3人の兄弟が生前に父の遺産を分配してもらうという内容の、たとえ話です。その話の中でピエールが問題にしているのは、長男が父のそばにとどまって暮らし親孝行していたにも関わらず、遺産分配の時にそのことが考慮されず報われていないと感じ、不満を言う点です(一般的にこの話は宗教的な父の愛の深さ=遺産で放蕩を尽くして戻ってきた三男のことを、喜んで迎え入れる寛大な父=を示しているものとも考えることができます)。

ピエールは6回目の面接で、今までとは別のやり方で、この部分を解釈することにしたと話すのでした。それはこの長男は、「父親への愛に囚われていたせいで、自分の人生を楽しむということを自分で自分に禁じていたのだ」という解釈です。これは彼にとって非常に大きな発見でした。この解釈を自分で見つけたおかげで、親元に住んでいた彼は、今までの人生とは決別して、自分の人生を選択する自由と、ひとりの女性を愛するという危険を冒す自由とを、手に入れることができたのでした。

 

“意味の外”との出会い

 

もう一つのポイントは、「君に同じこと(=自殺)が起こるなんてことは、あってはならないよ」という友人の言葉です。この言葉のせいで、ピエールは、自分の意に反して、手すりの上から自分が飛び降りてしまうのではないかという不安に陥っていました。

ピエールはもちろん死にたいわけではありませんでした。しかし発作的に自分がそのような行動を取ったらどうしようという不安に、絶えず襲われていたのです。なぜか。それはこの友人の言葉自体が、ある、“意味の外”(思い描いたり言語化することが不可能な、了解不可能であるような外部=この症例では”自殺”)との出会いを名付けているからだ、と分析家は考えます。この言葉は「~してはならない」という命令の形を取っていて、謎めいてもいますが、このような言葉はピエールに何らかの返答を強いてくるものであり、その返答がとりあえず”自殺行為”でもあり得るために、ピエールは不安に陥っていたのだと分析家は考えます。友達がなぜ自殺したのかは分からない、その意味を探しても無駄であると分かった瞬間から、ピエールはいわば友達の狂気の中に投げ込まれてしまったのでした。

しかし精神分析の場とはある特権的な場であり、この何気ない言葉の謎を、解釈によって解決することができる場であると分析家は考えます。「人生を楽しむことを自分に許可しないこと」・・このことこそまさに、実は自殺した友達が示したことではないだろうか。こう問うことが出来るようになるとピエールは、「~してはならない」という命令の彼方に自分を連れ出すことができ、不安から解放されることができたのだと、考えられるのです。

以前のピエールは福音書を頼りに、その教えを使って彼自身の問題を解こうと努めていました。しかし友達の自殺以降、彼の信じる宗教では堰き止めることのできなかった謎が生じ、宗教とは違う、精神分析という、べつの場・べつの装置を用いることで、彼は自分の生きる欲望との結びつきを創造することができました。それは彼がそれまで信じてきた宗教を否定することにつながったかと言うとそうではなくて、むしろピエールと宗教との関係をより豊かなものにしたかも知れないと思います。

 

この症例において切迫とは、避けられない命令のように彼に降りかかったものから、彼自身を分離させるような、ひとつの回答を求めるものだったと分析家は言います。人がどうしようもない、制御できないような不安に捉われ、このままいたらおかしくなってしまうのではないかというような切迫した状態になることがあります。そのような場合であっても、ピエールは薬には頼りたくないと言って、分析家との出会いを上手く使いながら、難局を切り抜けることができ、新しい人生を創造することができました。

 

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