PTSDの症例 ミンナ(1/5)
PTSDの症例を紹介したいと思います。これはジャック₌アラン・ミレール編「精神分析の迅速な治療効果」(福村出版)に掲載されている症例の要点だけを抜き出して、専門用語を使わずに読みやすく書き直したものです。
分からない点も出てくるかも知れませんが、PTSDに精神分析がどのように取り組むのかが垣間見れる症例であると思います。少し長くなりますので、5回に分けて説明します。
テロに遭遇してトラウマを負った30代女性
ミンナは38歳で、ルーマニアからスペインにやってきた移民の女性です。マドリードで家政婦などをして働いています。
2004年3月11日、マドリードでイスラム過激派による列車の同時爆発テロが起こり、191名もの人々が犠牲になり、2000名以上の人々が負傷しました。テロがあった時彼女は出勤前で、同僚たちとアトーチャ駅のカフェでくつろいでいました。直接的な被害には遭わずにすみましたが、爆発は駅構内にあった列車で起こったため、彼女は爆発現場の混乱に巻き込まれます。二度目の爆発音が聞こえるとすぐに彼女には爆弾だと分かり、恐怖に駆られて外へと走りだします。友人たちを置き去りにして、負傷者や死者たちのあいだをぬって逃げたのでした。そして逃げている間、ひとりの男性のまなざしにぶつかります。その男性は負傷して地面に寝かされていましたが、顔が血まみれで、それはあたかも“横たわるキリスト”(キリスト横臥像※)のようだったと言います。この“横たわるキリスト”の像が毎晩夢に出てきて彼女を見つめるようになりました。
※ キリスト横臥像とは、十字架から降ろされ、横たわったキリスト像であり、しばしば、
傷跡や苦悩の表情などとともに宗教画に描かれるものです
それからしばらくして、彼女は心理的な援助を求めて、分析家が勤める相談機関にやってきたのでした。
ミンナと女性分析家との出会い
初回、彼女は不安に捉われ動揺していて、休めていませんでした。また特に悪夢にうなされていました。ルーマニアの外務省に保護してもらおうと試みていましたが、うまくいっていないと話しました。
彼女はスペイン語がうまく話せませんでしたが、涙を流しながら分析家に自分を理解してもらおうと努力して話します。テロのとき、駅から走って逃げたこと、負傷者を救助するために立ち止まらなかったこと、父親から教えられていた、人のあるべき姿を体現できなかったことについて、自責の念に駆られていました。
ミンナの父親はキリスト教系のある新宗教を熱心に信仰している人物です。清貧を生きることを理想とし、他人から攻撃されたらもう片方の頬も差し出せという聖書の教えを娘にも説いていました。父親の視点からすれば、ミンナは負傷者を助ける義務を果たさず、過ちを犯したということになります。彼女は毎晩“横たわるキリスト”が出てくる悪夢を繰り返し見ることに関して、そのような話を女性分析家に語りました。
分析家の指針
女性分析家は、安易にミンナを罪責感から解くような言葉がけはせず、沈黙を守りました。するとミンナは、テロの直後自分が過ちを犯したのだと考えるのをやめ、むしろ他者、テロリストたちこそが過ちを犯したのだと考え、彼らへの憎しみを語るようになりました。ミンナにとっては憎しみという感情自体、経験したことのない感情に思われました。人を憎んではいけないという教えを堅く守っていたのかもしれません。
分析家はミンナが憎しみを口にするがままに任せます。今までミンナが自分のものとして認めてこなかった感情も、認めることができるようになるでしょう。 (2/5に続きます)